私は、毎日欠かさず仏壇に手を合わせる母の姿を見て育ちました。
たとえ寝坊して出勤時間ギリギリになっても欠かさない母の習慣。
「なんて信心深いんだろう」くらいにしか思ってなくて、
小学生の頃は母の真似をしてよく手を合わせていたけれど
成長するにつれて
祖父や祖母が亡くなった時やお盆の時期、気が向いたときだけ仏様に手を合わせていました。
感謝の習慣

私がビジネス書を読み始めるようになり
成功者達の共通の習慣が「感謝すること」だと知りました。そして、
「今の自分があるのはご先祖様達が命を繋いでくれたから」
この言葉と出会って
顔も知らない、会ったこともないご先祖様たちに対して想いを馳せるようになりました。
私の父は昭和30年生まれ。
父が幼い頃、家には「三種の神器」と呼ばれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機がありませんでした。
いま当たり前にあるこれらの家電が、当時はまだ普及していなかったそうです。
そして、父の父、つまり私の祖父は、戦争を経験しました。
明日もどうなるかわからない命の危機と隣り合わせの生活を送っていた祖父の時代を思うと、
私たちは今、電気やガス、水道が当たり前のように使えるだけでなく
命の危険を感じることなく穏やかな日常を過ごせています。
お墓の前では、祖父、祖母、曾祖母…と、会ったことのある人に近況報告していましたが
「今の自分があるのはご先祖様達が命を繋いでくれたから」
この言葉のおかげで
祖父の親、そのまた親…と祖先がずっと繋がっての今がある、平穏に暮らせていることをより身近に感じることができて
朝、仏壇の前で手を合わせるようになりました。
母が仏壇に手を合わせる理由

朝、仏壇の前で
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにむつ)を3回唱え、自分のご先祖様と仏様に感謝しますと伝えます。
これは母から教わりました。
続けて
「今日も無事、目覚めることができました」
今日という1日を迎えることができたことに対して、感謝の気持ちを伝えることにしています。
朝、仏壇の前で挨拶してるのは、私と母。
毎日仏壇に手を合わせて続けている母に対して、
何を想って手を合わせてるんだろう?
と気になったので、朝メイクしている母に
「毎日拝んでるけど、おばあちゃん(私の曾祖母)の教え?」と聞いてみました。
私が子どもの頃、母は「父方の祖母に育てられた」とよく話していました。
私の問いに、母は「まあね」と
幼少期からずっと実家の仏壇を拝んでいたことを教えてくれました。
母の祖母の旦那さん(母の祖父)の、写真のような似顔絵が仏壇に飾られており、それに向かって手を合わせていたこと。
家族が家にいない日が続くときは、母が毎日拝んでいたこと。
「え?小学生の頃に家で独りぼっちの日が何日もあったの!?」
私が驚いた様子に、母は笑顔で
「お米しかなかったから、外に出てシソの葉をとって食べてた」
と懐かしげに話していました。
母は今、仏壇に向かって、
母の実家のご先祖様とうちのご先祖様、流産で生まれてくることができなかった赤ちゃん(水子)を想って手を合わせているとのこと。
そんなこんなで、私が朝からめずらしく食い気味で母の話を聞いてたので、
「なんでそんなこと知りたいの?」
と母の疑惑の視線を感じたところで、そそくさと退散しました(笑)
右手は仏様、左手は人間や全ての生命のあるもの
仏壇の前で手を合わせること。
つまり合掌とは
右手は仏様、左手は衆生(しゅじょう)を表し
手を合わせることで一体となり、
仏様への感謝の気持ちを表す仏教の礼拝作法。
Googleの検索結果、最初に出てくるAI概要が教えてくれた知識です。
右手と左手にそのような意味があることを知りませんでした(笑)
両手を合わせることで
体の中でみんなとの繋がりを感じて、独りじゃないんだなって思える気がします。
この先、子育てが終わったらきっと寂しくなるので、この気持ちを忘れずにいたいです。